課題解決に取り組んだ、
企業、開発者のプロジェクトストーリー。
小児科病棟を担当している臨床工学技士・細川は、人工呼吸器(※注1)を付けているゆうや君のお母さんの言葉が、ずっと気にかかっていた。
人工呼吸器の回路内の結露は、数十年来の、医療現場の悩みのタネだった。
人口呼吸器は、自発呼吸ができない状態の患者に対し、呼吸の補助・管理を行う装置だが、外気温や空調の影響で、換気経路となる回路内に結露を発生させることが頻繁に起こっていた。回路内に水が溜まると、誤作動が起き、過換気や、場合によっては窒息など重篤なトラブルを引き起こす。そこで、結露防止の急場しのぎとして、ラップやホイルなどを巻き付けるという方法が行われてきたが、着脱にコツが必要で、見た目も悪く、数日経つと汚くなるという衛生面での問題もあった。なにより効果にバラつきがあり、医療スタッフの間でも試行錯誤の連続の中、人工呼吸器を在宅で使用している患者さんにとってはなおのこと困難で、家族の負担が大きいものだった。
「布で回路カバーを作るのはどうでしょう?」
技士の細川は、技士長の松上に相談した。
臨床工学技士は、医師の指示のもと、人工呼吸器など高度化する医療機器を安全に操作し、その保守・点検を行うスペシャリストだ。日頃から患者や家族と直接関わる機会も多く、チーム医療に欠かせない存在として、大きな役割を担っている。
相談を受けた技士長の松上には、ひとつの思いがあった。
「医療機器を使って社会復帰できるのであれば、それを徹底的にサポートするのが自分たち臨床工学士の仕事。患者さんが人工呼吸器をつけて退院したからには、生活の質を落とすことなく、ご家族も含めて社会復帰するところまでサポートしなくてはいけない」
その思いは大学病院のMEセンター(※注2)の思いとして浸透していた。
「必要なものは、なければ作ればいい」
こうして患者さんと向き合う現場の技士たちの思いから生まれた、小さな「人工呼吸器回路カバー」開発プロジェクト。そこにMEセンターのスタッフ、日野が加わり、試作品製作を担当した。
まずは、素材を探すところから。生地は綿入りで空気層が作れるキルティング。裏地には保温効果を高めるアルミ素材をいろいろ試した。試作しては実際に病棟の患者さんに使ってもらい、現場の声を聞きながら改良を重ねた。結露を防ぐ機能面はもちろん、巻き付けの方法、留め具に使うマジックテープの硬さや取り付けの間隔など、ひとつ、ひとつ。
こだわったのは、「誰でも簡単に」取り付けられる使いやすさ。そして、もうひとつがデザイン性だ。
ゆうや君に使ってもらう試作品には、かわいらしいクルマの柄の生地を選んだ。技士の細川がお母さんから、ゆうや君はクルマが好きだと聞いていたからだ。カバーを取り付けると、無機質な医療機器で占められた病室が、ほんのり温かな空間になった。ゆうや君のお母さんと技士の細川は顔を合わせ、笑顔になった。
MEセンター内での回路カバー開発から半年が経った頃。回路カバーを装着することで結露が防止され、その効果は現場でも目に見えて確かめられていた。
人工呼吸器を装着した患者は、国内でも20万~30万人いるといわれている。
「必要な人、困っている人に届けたい」
技士長の松上は、回路カバーの規格を作り、製品化するための企業探しをはじめた。けれど、製品の採算性や医療との連携に不安があるなどの理由で、多くの企業に打診するも、なかなかうまくいかなかった。
そんな折、偶然紹介されたのが、米子市にある備中屋本店だった。備中屋本店といえば昭和25年創業の畳製造に端を発する老舗で、以来、畳からインテリア、リフォームまで、住空間とトータルに扱う企業として成長を続けている。
同社の上森英史社長にとっても、医療と連携する仕事ははじめての経験。最初は戸惑ったが、目にした一枚の写真に突き動かされたという。それは、回路カバーを付けたゆうや君の写真だった。
「自分たちの技術が役に立つかもしれない。やってみましょう」
できないかもしれない、けれども技術を駆使してやってみようという思いになった。
上森社長は、自らの足で大阪の問屋街を回って、生地や素材ひとつひとつを調達した。これまで培ってきたカーテンやクッションなど布製品の縫製技術とノウハウはある。
加えて製品価値を高めるもの作りの大切さと結露を防ぐためのメカニズムにも徹底的にアプローチした。MEチームの手作り回路カバーのサンプル品を元に、さらに改良の図面を作り、普段はカーテン類の縫製を担当している従業員の 職人に技術を託した。
遮熱性、断熱性をより高めるため、生地は3層構造とし、着脱のマジックテープはファスナーに。立体的な裁断と縫製の技術でより機能性、デザイン性の完成度は高まり、さらに洗濯への耐久性も劇的に向上した。
打ち合わせを重ね、改良を繰り返すこと7回。ついに商品化できる回路カバーのゴーサインが出た。依頼を受けてから、わずか3か月後のことだった。
「上森社長には、回路カバー開発への熱意が、自分たちと同じものを感じた」と、松上技士長は回想する。
患者や介護する家族の気持ちが明るくなればと、回路カバーの生地はかわいい絵柄を4種類用意。ファスナーを隠す部分に動物柄のワッペンを取り付けたのは「名前が書けるように」という、上森社長のやさしいアイデアだった。
回路カバー製造に向け、さらに思いのバトンがつながっていく。
2018年7月末、備中屋本店の上森社長は、特許申請の準備を進めながら縫製業者を探し始めた。
準備は着々と整った。
だが、販売された実績のない未知の商品であり、おまけに小ロッドであるために、訪ね歩く企業の先々で断られるのは無理もないことだった。そんななか、興味を示してくれたのが、銀行から紹介された兵庫県豊岡市の(株)タカアキだった。
(株)タカアキは、国内の有名メーカーのカバンを製造している縫製工場で、仕上がりとクオリティ管理は国内でもトップレベル。きれいに整理整頓された工房で、一針一針、職人さんたちが丁寧に仕事をしている。
宿南孝弘社長に回路カバー開発に至るまでの経緯を話すと、「弱いんよ、子どもの話」と目に涙を浮かべて頷いてくれた。
社員の福利厚生で 「託児所」を運営されていたこともあり、とりわけ子どもへの愛情が大きいことも、背中を押したのかもしれない。
タカアキのカバン製造で培ったメイドインジャパンの技術力が加わり、回路カバーは細かなところへの最終的な仕上げが施された。
ファスナーを使い誰でも簡単に着脱できるやさしい設計と、3層構造で結露90%削減を実現した機能性。高い縫製技術で繰り返しの洗濯にも耐える頑丈さも備えた。デザイン性にもこだわり、カバーの柄はかわいらしい4種類から選べるように。サイズも回路の太さに合わせ、新生児用と2種類用意した。
2019年3月、世界ではじめての製品「人工呼吸器回路カバー」が、開発に携わったすべての人の思いを乗せて、世に送り出される。